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年を越してからのここ何日か、あれほどの厳寒が少しほど緩んで暖かだったが、またぞろ寒気団が北の大陸から南下しているのか。彼らの立つ周辺に垂れ込める夜気は、小さな針でも含んでいるのか、ぴりりと冴えて肌に痛いほど。鋭いまでの月の光をも吸い込んでしまう、漆黒の厚みがベルベットのようだのに、
「乙に澄ましたレイディの羽織る、毛皮の表にさも似たりだな、こりゃ。」
そうと思えばどんなに冷ややかでも堪こたえないと言いたい彼なのか。引き締まった痩躯に添わせた、漆黒のスーツのポケットへと両手を突っ込み、くすすと余裕で笑っている聖封殿であり。それへは何とも…同調も咎めも、はたまた呆れもしないままながら、
「ま、俺らはこっちの世界の寒さってのには、あんまり影響されねぇからな。」
そりゃあシンプルなトレーナー姿の胸元へと、雄々しき腕を高々と組んでいた相棒の破邪殿が、ふふんとこちらも強かに笑い返した。その体の組成も存在としての有り様も、実は微妙に異なるところの、異次元からの来訪者だから。よって、物質を構成する分子運動が左右されてしまうという意味合いで“動き”を多少鈍らされることはあるやもだけれど、寒いとか痛いとかいった“感覚的”なところへマイナス作用を及ぼす格好では、さほど影響を受けない人たちであり。
「それをのけても頑丈だしな。」
「うっせぇよっ。」
こないだの深夜の廃ビル倒壊は見事だったよな、人里離れた山奥にあんなまでがっつり作られた保養所の廃墟があったってのも驚きだったが、コンクリートや鉄筋へし折っての大暴れをした揚げ句、3階建ての施設を丸ごと粉砕しちまってよ。
「撃沈した化猫邪妖と一緒に瓦礫の生き埋めになりやがって。」
咒を使っての時空跳躍で抜け出せないこともなかったが、一応の結界を張り巡らせ、現場を仮の“亜空”に仕立てた上での作業だったから。そんな咒を発動させれば…恐らくはすぐ間近にて潰されていただろう、倒したばかりの邪妖まで刺激してしまい、どさくさ紛れにどこかへ逃亡させかねなくて。
「どうしたんもんかと閉口してたら、遮蔽結界を内側から破りもって自力で這い出して来やがってよ。」
邪妖を逃がすことにはならなんだものの、お陰さんで現場は外から丸見えになっちまって。もしも通りすがりの目撃者がいたなら、奇跡の生還なんて騒がれてたとこだったんだぞ、おいと。もしかしなくとも余計な埃を立てたことへ、実は少々怒っておいでだったらしいサンジさんであり。確かにねぇ。人里離れてたって人造物があった以上、前人未踏な場所とは言い切れず。さして日も経たぬ“後日”に誰かが訪ね来たなら、何でまたこうまで徹底的に…自然風化とは思えない規模で粉砕されているやらと不審がられることは間違いなく。それへと返された応対は…といえば、
「手ぇ焼かしちゃいねぇんだから、お前が怒る筋合いじゃなかろうよ。」
終わった話を蒸し返されたのへも含めて“筋違いだ”と言いたいゾロならしく、ふいっとそっぽを向いて時を待つ素振り。まあね、これまでにだってそういう力技な対処は多かった。むしろそういうケースになってしかるべき、時間に迫られているよな事案にばかり呼ばれる、その筋の“エキスパート”な彼らでもあって。
――― 何かが暴れたらしいが“何が”かは判らない。
放置するだけで最凶最悪の恐怖に縁取られし惨劇や奇禍を招いただろう“元凶”を、問答無用で摘み取り、片っ端から叩き伏せて来た結果だ。そんな不思議を残してしまったのも、言わばご愛嬌ってことで済ませろよというのは、何も大雑把なゾロに限った言い分じゃあないこと。これを彼らのような立場の人の専門用語では“今更”なんて言ったりもするのだが、あまりにしゃあしゃあとしている彼なもんだから、どちらかと言えば“事後収拾班”という役割のサンジとしては、少々収まらないこともあったりし。
“…収まる収まらないっていうか。”
確かに頑健な奴ですよ、ええ。例えば、こっちの世界で彼らが行動するのに使ってる仮の身体は、擬的な物体…所謂“縫いぐるみ”っぽいものに入り込んでって順番の代物じゃあない。それぞれの意志にて、本来は霊的存在であるめいめいの“アストラルボディ”に見合う“身体”という殻器が組成されている。その殻器には、個々人の生命力や精神力、技量や器量や何やかや、能力や人格の大きさ・強さがそのまま反映するので、さしたるレベルでもない存在だと、天聖界と陽世界との間に立ちはだかる障壁を越える力だけは何とかあったところで、こっちへ来た途端に敢えなく蒸散してしまうのがオチ。彼らほどの存在だからこそ、向こうに居る時とほぼ同様、行動にも遜色のない身でいられる訳で。
“そうやって構成されたガタイがまた、半端じゃないほどに頑丈ですしね。”
元からこっちで生まれた者にもそうそうは居なかろうほど、筋骨隆々で力持ちで馬力持ち。よって、こっちで殻器を得た者へも力ではまず負けないし、先程例に出したよな“突発事故”に遭ったとて、咒の相乗効果がどうのこうのと断じてる暇さえ要らない…やはり力技にて。事態ごと粉砕して乗り越えてしまうような向こう見ず。付き合いも長いから、いくら何でももうそろそろは、当人の身への怪我や何やは心配しないが、
“その代わり、精神的なダメージは堪える身だっての、
すっかりと忘れてやがったくせによ。”
無論、そういうデリカシーなんてどこに持ち合わせているのやらというほどに、精神的なところでも桁外れの強靭さを保持していればこその、こういう苛酷なお役目なのだけれど。その永い“生”の中で、これまで相当に凄惨な出来事たちとも直面して来た彼らであるのだけれど。それでもそんなこと おくびにも出さぬまま、ただただ邪妖封滅に明け暮れて来た、エキスパートの彼らであり。ことに滅殺専任のゾロの方は、そんな殺伐とした生業が彼を擦り減らすことのないようにと。彼を育てた師範とやらが、かなりの力技でもって彼の心から記憶を毟り取って行ったものだから。感情の起伏も浅い、冷徹な存在であり続けることが可能でもあったのだけれども。
――― そんな彼に温かい心を呼び覚ました存在が、現れたから。
小さいのにお元気な坊や。屈託がなく、人見知りも精霊見知り(?)もせず、喧しいほどにぎやか溌剌で、そしてそして…健気な坊や。寂しいってことの切なさを、誰にも此処にいることを気づいてもらえぬ、構ってもらえぬ孤独の痛みをよくよく知っているからと。ある意味では邪妖とお仲間の、霊体になった存在にまでも構い立てしていた困ったお子で。なんでそんなことをわざわざしやがると、きりきりと心が痛んだその結果、見捨てておけず傍らに居ようと思ったのが切っ掛けで。そしてやがて、そんな感情や気持ちが、誰へでもというものではない“想い”へと育ち、気がつけば互いを最も大切な存在にしていた、何とも可愛らしい二人であったりするのだが、
“柄になくも心配性になりやがったってのが、誤算っちゃあ誤算かもな。”
何しろ腕白小僧なのが大前提な坊やだからね。一応の用心をし、頼もしい破邪守護殿の背中に庇われの懐ろに守られの、柔順にも従っていたのも最初のうちだけ。好奇心旺盛なところからくる冒険心も人並み外れて強い子だったから、異世界から来た彼らとのお付き合いが齎したあれやこれやに接するにつけ、好奇心に揺れ動くお尻尾が黙っていなかったから…堪らない。大胆なんて言い方したらば罰が当たるぞというほどもの、無茶や無謀も数知れず。そしてそんな坊やが、ある意味“自業自得”からの窮地や危機に遭うたびに、心胆寒からしめている破邪殿だったりもするらしく。
“上手く出来てるもんだよ、うんうん。”
何かが突出すれば、別のところが欠けたり減ったり。何につけ、そうやってバランスというものは取れているということか。この世に怖いものなど一切なかった筈の最強の破邪の常に冷然としていたそのお顔が、青くなったり赤くなったりすることの増えたこと増えたこと。これまでの彼が携えていた“絶対の強さ”は…実を言えば、失うものなど持たなかったからこその捨て身の強さで。そこへと生じた“大切なもの”。理屈なんてないほどの勢いで心を鷲掴みにされた“愛しき対象”が出来たという変化が、彼の感情を徐々に徐々に育み直したし、小さな坊やの身を案じるが故に…感応力も上がったし、用心深さも身につけた。今のところはそのどれもが強さに直結している要素だから良いけれど、
“まだまだ初心者だからねぇ…。”
全ての痛みを肩代わりしかねぬ奴だから。しかも不器用で、逃げるという術や奇弁をまるきり全然知らない奴だから。先が思いやられるぜと、しょっぱそうな苦笑をし、それを誤魔化すためにと紙巻きを口許へと咥えた聖封様で。そこへ、
「サンジさん。」
愛らしいお声が空からかかる。顔を上げれば、豊かな長い髪をひっつめに結った少女が、同じ屋根の上へと跳ねて来ており。その清楚な愛らしさへと、ついつい気持ちも和んでしまう辺り。繊細複雑な気遣いをしかかってた聖封様も、結構単純なものであり。
「ビビちゅわん、じゃないか。」
「こんばんわです。」
同じ聖封の民の一人。実は天界の精霊たちの中でも飛び切り名門の、人魚たちを束ねる総帥の一人娘で。壮麗な城の奥深いところ、山ほどの兵士たちに守られし楽園で、穢れのないままにその生涯を送る娘さんたちの末娘で、天聖世界でも極めつけに玲瓏な存在だってのに。限られただけしか“世界”を知らないなんて真っ平だと。陽世界にまで足を延ばせる資格を得るべく、果敢にも修行を受け、鍛練を積み、やっとのことで聖封の一員となれた、今時であっても珍しいほど変わりダネのお嬢さんで。最近の任務では、やたらとこちらの二人と顔を合わせるほどともなると、そのレベルも推して知るべしというところかと。
「予定通りに運んでおります。」
「そうなんだ。頑張ってくれたんだね。」
心からの感心が八割と、あとの二割は…もしかせんでも下心から? 数ある聖封たちの家系一門の中でも最高位に立つという、バラティエ一族の総領息子から送られた、そんなねぎらいのお言葉へ、ぽうと頬を染めた純朴懸命なお嬢さんだったが、
「…あ、ゾロさん。こんばんわ。」
少し離れて手持ち無沙汰な様子でいたもう一人に気がつくと、そちらへ“サササッ”と歩み寄り、
「ルフィくんはお元気でしょうか?」
屈託のないお声をかけて来る。あの腕白さんとも縁の深い彼女だからで、そうでなければ、
“こ〜んな綺麗なお嬢さんが、そ〜んな荒くたいばっかな野郎へなんぞ、お声をかけたりするかよな。”
それが動きやすいいで立ちなのか、この寒空に洒落っ気の全くないトレーナーとシャツの重ね着と、深色のワークパンツという何とも簡素な格好の御仁。短く刈った緑頭の片側の耳朶に下げたる、金の棒ピアスが月光を浴びてチラチラと光る様も。武骨な彼にあっては一向に、華やいだ印象など与えないままの単なるアイテムに過ぎず。しかもその上、
「ああ。」
愛想も何もない手短な応対がたったの一言だけと来て、
「お前ね。」
見かねたサンジが呆れて口を挟んで来、
「せめて“ああ元気にしているよ”とか、やんちゃが過ぎて大変だったら、とかサ。会話が続くような言いようをせんかい。」
「何だよ、意味は同じだろうがよ。」
「だからだなぁ〜。」
「あ、あのあの、そんな…。」
何もお二人が揉めなくともと、間に入った格好のビビ嬢が少々慌て始めたものの、
“楽しそうよねぇ…vv”
喧嘩腰に見せつつも、サンジの側には余裕があって。ゾロの方だとて、無視して相手にならないでいたって良かろうに。斜ハスに構えながらもいちいち受け答えを返しているから何とも不思議で。憎まれ口をついつい利きつつも、何かあったなら自分らでフォローしてやろうという思いやりと、そんな彼には縁のないはずの坊やを、なのに弟みたいに可愛がってくれている相棒への感謝と。いつだってその胸に抱えている彼らでもあったからこその応酬なんだろなと。そうと気づけばこちらの頬まで、得も言われぬ優しさに ほわりと緩む。
「…さぁて、そろそろ時間かな。」
「あ、はいっ。」
冬の月が彼らの頭上の真上へと上がった頃合い。異世界から来た彼らへだとて容赦なく、針を含んだかのような厳しい冷たさで吹き付けていた北風が、ふっとその気配を消した静謐の中。天穹に敷き詰められていた夜陰の暗幕の一部が、よくよく見ていないと…そうだと分かっていないと見過ごしそうな微妙な差異にて、マットな色調の漆黒の空間を徐々にと広げる格好にて、音もなく真ん丸く切り抜かれてゆく。
「そんなに暴れはしない奴なんだって?」
「はい。」
もしかしたらば意志さえ持たない存在かも知れませんと、細い肩口をすぼめつつ、ちょっぴり困ったような顔をしたビビさんで。今回の封印対象は、ともすれば…こちらの特別クラスの腕っ節を持つ二人が出張らずとも良いような、危険度の低いケースであったのだけれども、
「ただ、1つの個体が持つには大きすぎる霊力を保持しておりましたので。」
例えば夜陰の塊りに過ぎなかった空間が、どういう訳だか歩き回れる存在になってしまった…というところだろうか。問題はその個体を成す成分が、放置しておけない規模のそれだったので。揮発性の高いガソリンを大量に移送するようなもの。いざ何か起こったならば、早急に塊りと化している繋がりをほどいてやらねば、何の切っ掛けでどんな変化をするやも知れず。
「慎重に構えるに越したことはないと。」
大仰だと思うなかれ。例えば何の変哲もない小麦粉だけが収められていた倉庫が、漏電でも放火でもなく大爆発を起こしたという事件だってある。微粒子粉末が充満していると、静電気1つで過剰なまでの分子運動が引き起こされて。その結果として強烈な圧力が発生し、頑丈な倉庫が吹っ飛ぶほどもの爆発を起こしもするのだそうで。…って、ちょっと例えがズレすぎておりますかねぇ。そうこうする内にも周囲の夜陰のありようが、微妙に微妙にほのかな収縮を始める。大きな存在が“いる”証し。そこへと引力のようなものが生じて、辺りの軽い存在が引かれている微かな気配がしていて。日頃は一刻をも争う一大事へ、時間まで寸断しかねないほどもの絶大な力技を頼りアテにされ、引っ張り出される彼らだが、
「…ああまでデカイのにこんな程度の引きとはな。」
「指し詰め、黙りこくってる時のお前みたいなもんかもな。」
「うっせぇよ、グル眉。」
サンジのみならず、ゾロにまで。こういう気配の感知もまた、しっかりこなせるところが さすがのエキスパート組というところか。夜陰の中に、淡い輪郭。地方から都市へと配された主幹送電線用の鉄塔クラスの大きさの何かが、それはそれはゆっくりのったり、冬の夜空の中を移動してゆく。一応は油断のない意識の下に注意深く見守っているものの、陽世界に居ながら陰体そのものと対峙していつつも手を出さない、警戒レベルで言えば格段に低い“監視”というお役目のせいでだろうか。肩から力を抜いていたのは事実であって、
“…こんなののイメージ、最近何かで見たような。”
まさかそれって、もののけ姫の“山の神”では…。さては、ルフィと一緒にDVD鑑賞会でも開いたな、あんた。(苦笑) そんな暢気なことをぼんやりと思い出せていた雰囲気を、当事者たちの慢心と数えるのは少々気の毒かもしれないが、それでも…多少は後悔がついて回ったかもしれないような事態が、まさかこの後、すぐさま起ころうとは。この場にいた誰一人としても、思いもしない先の展開であっりするのである。
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*あああ、しまった。
こういう意味深な引きで続くと、
次の章を書くのに凄んごいプレッシャーになるんだったのに〜〜〜。
(…学習能力のない奴です。) |